本当の本当の本当に消費税を10%にしてしまうのでしょうか?
するする言いながらずるずると今まで引っ張って来ておりましたが、日に日に切迫感が高まってきているのを感じます。
本当の本当にこれでいいのでしょうか?
こういう経済の問題って、間違ったことを言ってしまったらカッコ悪いぞ的なヘンテコリンな空気感があって、非常に発言しづらいものがあったりしますよね。
そういう中で情報を発信してくださっている勇気ある各氏には頭の下がる思いを抱かずにはいられません。
しかし発言はできなくても一人一人が自分なりに情報を集めて考えることが重要ではあろうと思います。
というわけで、ぜひ皆さんに見ていただきたいブログがこちら。
https://miyukiyasmaro.hatenadiary.com/
・消費税を巡る歴史
【財政・増税問題】こんな教科書は嫌だ2その①
【財政・増税問題】こんな教科書は嫌だ2 その②
【財政・増税問題】こんな教科書は嫌だ2 その③
消費税というものについて根本から解説した上で、どうするべきかを考える1本+3本立てのシリーズです。
豊富な資料を引用しながら解説してくれており、単に持論を語るだけにとどまらない説得力があります。
少し長いですが、難しい内容を楽しい文章で語ってくれてます。ぜひ目を通しましょう。
その他、上記記事内での引用箇所と一部重なるものもありますが、
本件を考える上で役立つと思われる動画チャンネルをご紹介いたします。
・カリンゴンの怪獣でもわかる経済のお話
・三橋TV
・大西つねき氏の動画集
こういう話って「小難しく」て「攻撃的」になりがちですが、
他人と「頭のよさ勝負」や「知識勝負」をすることが目的というわけではないはずですよね。
今、ここに生きているのは誰でしょう? あなた自身だ!
というわけでアナタはどう思いますか?
別に教えてくれなくてもいいので、アナタなりに考えて欲しいとは思います。
ちなみに私は選挙のときいつも減税が公約に入ってる人に投票してるんですが、それでも増税されたら払わなきゃならない。やだなぁ。
そうなったらアナタのせいなんだからねっ。コンチキショ〜。
でも。
私はアナタを愛してます。
たとえウザがられたってアナタの幸せを願うのをヤメてあげません。
というわけで今日もアナタが(以下略)ぅ〜。
「広告」が「罰ゲームのネタ」になっていることを誰も疑問に思わないのかな?
つまり「無料なんだから広告が表示されてもしょうがないでしょ」ってやつです。
しかし広告を出す側の人たちは、そんな形で自分たちの商品やサービスが表示されるってことについて、なんとも思わないのかな?
広告を出すってことは、自分たちが作っていて売ろうとしているものを、多くの人に気に入って欲しい、ってことですよね。
それが「罰ゲームのネタ」として表示されるということに、不満はないものなのかな?
それとも、そんなこと考えもしないのかな?
それとも、私なんかには思いもよらない深遠な「マーケティング戦略」があって、敢えてそうしているのかな?
さらに言えば、広告と言えば、どうして、こうも、「見るだけで嫌な気分になる」ようなものが多いのでしょう。
まるで、自分が「罰ゲームのネタ」であることを(暗黙のうちに)了解していて、
わざわざ嫌な気分にさせるために作っているのではないか、とさえ思えてきます。
広告を出すってことは、自分たちが作っていて売ろうとしているものを、多くの人に気に入って欲しい、ってことじゃないんでしょうか?
それとも、これまた私なんかには思いもよらない深遠な「マーケティング戦略」があるということなのでしょうか。
人に嫌な思いをさせてまで売らなければならない商品とは一体何なのか?
ちなみに今、「その商品とは……」とつなげて、
「売らな」を「占い」と掛けて、何か素敵なダジャレをプレゼンツしようとしたのですが、
いまいちうまくいかなかったので断腸の思いで諦めました。
期待していてくれた皆さん、ゴメンナサーイ。
> 広告と言えば、どうして、こうも、「見るだけで嫌な気分になる」ようなものが多いのでしょう。
だからこそ、今時のブラウザの多くがデフォルトで広告ブロック機能なんてものを持つようになっているわけで。
しかし「敵もさるもの」で、最近は広告ブロックがオンになっていることを検知して、
「当サイトをご覧になるときには広告ブロック機能をオフにしてください」などと表示するサイトがありますね。
ではさて、こういうメッセージを出してサイトの中身を見せないようにすることで、
じゃあわかりました、と言って広告ブロックをオフにする閲覧者って果たしてどの程度いらっしゃるものなのでしょう?
私の場合で言えば、ど〜〜しても見たい! or アクセスしなきゃイケない事情がある、という超激レアなケースを除いて、
そんなメッセージを出された時点でそのサイトから退出します。タダで見ようなんて思って悪ぅございましたね。
私の乞食っぷりを批判するなら、いくらでも批判すればいいですが、
そもそも嫌われるような広告を出しているという時点で、広告としておかしい、とは思わないものなのか?
もちろん私は慈悲深いので、広告がこんなにも不愉快なものばかりじゃなければ、
ちょっとぐらいなら表示したままにしてやってもいいかな、という気持ちはあります。
しかし、そう思ってたまにオフにしていると、視界に入るだけで「うあっ!!」ってなるような、
なんか、こう、あるじゃないですか、音が出るわけじゃないですが、「けたたましい」オーラって言うんですか。
油断大敵だな〜、って。
やはり広告ブロックは常時オンじゃないと、とてもじゃないですがネットを見れません。
え? じゃあネットを見るなって?
よーし。わかった。
お望みどおり、特製の辛子醤油を水鉄砲に入れて貴方の両目を狙撃してさしあげようではありませんか。お楽しみに〜。
広告ブロックなるものが普及しているということは、広告が嫌われ者だということが周知の事実ということです。
しかし、だったら嫌われないような広告にしよう、とは思わないものらしい。
そのように思わず、広告ブロックを有効にしていることを検知して、オフにするように促す。
嫌われているということは理解していて、その上での「対策」が、これ、というわけです。
広告ブロックを検知するにはどのような技術を使っているのか、私にはよくわかりませんが、
その技術を考え出した人は、どんな気持ちでそれを考えて、どんな気持ちでそれを実装しているのでしょう。
「ぐふふ。この俺様の技術を甘く見るなよ? 広告をブロックなどしている生意気な連中に目にもの見せてくれるわ! ぐふふのふ」
ってな感じでしょうか? 今日はあんまりテレパシーが冴えないので多少違ってるかも。あくまで多少ですが。
問題の根源は「お金」であろう、とは思います。
現代の世の中は「金を稼げないやつは死ね」という最低最悪の世の中です。
だから、広告を載せるということ自体は、マネタイズの手法として「仕方のないこと」なのだろうとは「理解」はできます。
これに対する解決の方向は、
・広告以外のマネタイズの手法を追求する
・「金を稼げないやつは死ね」という最低最悪の世の中を変える
の2通りということになろうかと思います。
前者については案はイロイロあろうと思いますが、一つ面白いなと思ったのが「仮想通貨のマイニング」です。
サイトにアクセスしている間、閲覧者のパソコンでマイニングが行われて、その収益がサイト運営者に入る、という仕組みです。
ただ、私が調べた限りでは、恐ろしいほど「雀の涙」ですね。
あとこれについて気になったのは、閲覧者に無断でマイニングを実行していて、CPU使用率が激重になってコノヤロ〜、という話。
だからと言って、このマネタイズ手法そのものが悪いということではなく、
閲覧者との間で合意が取れるような形でやる分には問題はないはずであろう、とは思います。
とは言うものの「雀の涙」ではどうにもなりませんね。
ただ、キモとしては
・閲覧者自身には金銭的な負担のない形で、
・少ない労力で(例えば「表示するだけ」「裏でマイニングが自動実行」に準ずるような)、
・かつ、閲覧者との間でプラスの合意が得られる
というような何か、ということではないかと思います。
何かあるような気がするんですけど。気がするだけでしょうか。
しかし、私なんかよりも、こうした分野に詳しい人は大勢いらっしゃるはずで、
それでいて、「昔っから相変わらず」というのはどういうわけなのか。
後者の「金を稼げないやつは死ね」という最低最悪の世の中を変える件についてですが、
これは「広告」の件に限らず、「やらねばならぬこと」ですね。
私たちの喫緊の課題です。
これができなければ、早晩私たちは滅亡するでしょう。
あるいは滅亡せずに今のまま世の中が存続するとすれば、それは滅亡よりもはるかに悪いと言わねばなりません。
それに関してはここで長々と私が話すことではないので、さしあたりはお話を控えさせていただきますが、
要は「広告」の件については、「お金」という事情があるよね、って話です。
と、見せかけて。
本当の本当の本当の本っ当ぅ〜〜〜〜〜〜のところ、どうなんでしょう?
なんかね、「大人の事情」ってやつは、イロイロあると思うのですよ。
しかし、ごく素朴に考えて欲しいんですけど、
おかしいと思いませんか?
「わざわざ人を嫌な気分にさせてやろうという罰ゲーム」が「当たり前の常識」として今も実行されている。
これって、なんか、変だと思いませんか?
ものわかりのいい「大人の事情」なんかでは回収しきれない「得体の知れない何か」がある。
そんな気がしてなりません。
おっと、このタイミングで窓の外を足音が!
車のナンバーがゾロ目ばかり! コンニャロメ〜!
ああ。
今日も今日とて邪悪な気配が世間に満ち満ちているのをビシビシと感じます。
そんな時代だからこそ、せめて私は人々の幸せを願いましょう。
私の嫌いな人が幸せでありますように。
私を嫌っている人が幸せでありますように。
私の好きな人が幸せでありますように。
今日もあなたが幸せでありますように。
別にツイッターじゃなくてもいいよねって言うか、この「空気感」は何だろう?
普通のブログで短文を投稿したっていいんですよね?
何しろ「ミニブログ」というぐらいですからね。
機能的には「ツイッター<ブログ」なわけで、ツイッターに出来てブログに出来ないことはない。
でも、そういう使い方を実際にしている人って、全然見かけない気がします。
いらっしゃるのかもしれないですが、少なくとも目立つ存在ではないですよね。
なぜだ?
いや、もちろん、通常のブログが「そういう使い方」に「特化」してるかどうか、っていう要因はあるのでしょうけど、
やって、やれなくは、ないわけでしょう?
やってる人(の層)が、いない、というのは、これは一体どうしたことか?
機能的に「向いてる」かどうかはさておき、そんなものは使う人の意志一つ。
たとえば普通のブログとして書いていくつもりが、結局、短文ばっかり頻繁に投稿してる、
みたいなユースケースだって、ありそうじゃないですか?
しかし、そういうような「ユーザー層」が存在する、という話は聞いたことがない。
存在したって全然不思議じゃない。
むしろ存在しないことが不思議です。
いや、なんとなくわかる気はするんですけどね。
実際に普通のブログで「そういう使い方」をガチで実践すると、
多分ちょっと、「ウザがられる」感じになるような気がする気がする気はいたします。
いや、でも別にいいじゃないですか。
人のブログにコメントとして書くわけでもないんですし。ねぇ?
ただ、この、なんというか、言い知れない「空気感」のようなものは、感じます。
見えない何かの存在感を、感じます。圧倒的に感じます。
なぜ私たちは、おとなしく、「こういう使い方をすべし」という使い方を、誰に強制されるわけでもなく、したがっているのか?
私たちは、きっと、私たちが思うほど、自由ではない。
「アクセスアップ」って放送禁止用語か何かなのかな?
なんか最近常に視線を感じるんですよ。
こうして「アクセスアップ」を看板に掲げて活動してるわけですけど、
なんか、冷たい視線を感じるんですよ。
今だって部屋に盗聴器仕掛けて盗聴してるんでしょ? 監視カメラで隠し撮りしてるんでしょ? わかってるんだぞ! うがー!!
街を歩けばすれ違う人が私の悪口を!
車のナンバーがゾロ目ばかり!
どうしてタイミングを合わせて私の進路を阻むんだ! うぎゃー!
おかしいなぁ。おかしいなぁ。
でも、理由ならすっかりお見通しです。
「アクセスアップ」を看板に掲げて情報発信してるからでしょ?
隠したってこの私にはわかるんですからね! あっ、また通行人が私の悪口を! 聞こえてるんだゾ〜〜! コノヤロ〜〜!!
ぜーはーぜーはー。
アクセスって欲しいですよね?
欲しいに決まってる。え? 欲しくない。この嘘つき!
嘘つきはキライです。ぷんぷん。
でもなんか、あんまり露骨に数字を追い求めるのはカッコ悪いZE☆ みたいな空気感はわかります。
誤解を恐れずに一回だけ言うと(五回じゃなくて。うぷぷ)「エロ」みたいなものでしょうか。
誰だって興味はあるけれど、大っぴらに言うのは憚られる。
そういうものかな〜、って気はします。
繊細で思慮深い私はそのように察し、あなた方のアンビバレンツな純情ハートをそっと抱きしめます。
それにしてもどうしたものかな。
見てのとおり「アクセスアップ」を看板に掲げてるわけですが、
なぜかと言えば、「アクセスアップ」のプラットフォームを作って公開なんかしてたりするからです。
嘘偽りのない看板です。隠す方が怪しいというもの。
折しも季節は春真っ盛り。ここぞとばかりに露出していこうではありませんか(下ネタ)。
さらに言えば、これというのもアクセスを求めてやまない善男善女の皆さんのため。
私は本当に慈悲深いですね。
というわけで無理せず続けていきますよ。よろしくね。
・アクセスアップの相互素通りプラットフォーム「すどぷら」
伝えたい記事が検索されるのでなければ意味がないじゃないか
いわゆる検索エンジン対策的な話で、「意外な記事が検索される可能性があるから思いついたことはどんどん書いた方がいい」というような「技」があろうかと思います。
たしかにそのとおりで、テキトーに書き捨てたような記事がなぜか頻繁に検索されたりする。
その一方、精魂込めて書いた記事が全然検索されない、なんてよくあること。
で、「だから何でも書いた方がいい」というのは結論としてちょっとどうなのか?
それだけならまだしも、「だから検索されやすいような記事を書くべし」などと言い出すに至っては本末の転倒が確定です。
極論を言えば、世界中に存在するWebページと同じだけのページを自分一人で書けば、世界中のネットアクセスの半分は自分のものです。
が、仮にそんなことが可能だとして、だから何なのか?
だって、自分が伝えたいと思う記事が見てもらえないんだったら、意味ないじゃないですか。
たとえばの話、「世間ではカエルの前脚の先端にマニキュアを塗る」ということが大流行しているとします。
そんな中、ふと魔が差して「知らなきゃ損するカエルの前脚の先端に上手にマニキュアを塗るための10の方法!」なんて記事を気まぐれで書いたら大ヒットするに違いありません。
世間のニーズを敏感にキャッチした、人呼んで歩くアンテナ人間であるこの俺様の勝利ぃ! ついでに成功体験本でも書いて一儲けしてやろうかな、イヒヒのヒ、ってなもんです。
でもそれが自分が本当に伝えたいことじゃなかったら意味ないじゃないですか。
自分が心の底から本当に人々に伝えたいことは「味のなくなったガムと使い古した練り消しを絶対に見間違えないための唯一の方法」なのに、それについてどんなに精魂込めて記事を書いても、世間の人々はそんなことにはまったく興味がない。
しかしあなたは「味のなくなったガムと使い古した練り消しを絶対に見間違えないでいること」は人類にとって究極的に重大な宇宙の真理であるということを悟ったのであり、そのような悟りを授かった以上、是が非でも世の人々に伝えねばならない。
しかし、それについてどんなに心血を注いだ良記事を生み出したとしても、検索エンジンからの流入は期待できません。なぜなら、検索エンジンとは、世の人々が「自分の興味のあるキーワードを入力」するものでしかないからです。
あなたがいくら「味のなくなったガムと使い古した練り消しを絶対に見間違えないでいる唯一の方法」という宇宙の深遠なる真理に気付いて、それを人類に伝えるという聖なる使命に燃えていたとしても、世間の人々は相も変わらず「いかにしてカエルの前脚の先端に上手にマニキュアを塗るか?」などという愚にもつかないことに日々を浪費しているのであり、なおかつそのような自分たちの愚かさに気付こうとすらせず、今日もせっせと「カエル マニキュア」などといったキーワードを入力することしかしない。
今や検索エンジンの賢いサジェスト機能は「カ」と入力しただけで「カエル マニキュア 塗り方」という単語を学習していて自動的に表示するほど。もはや人々は自分の意志でキーワードを入力する必要さえない。おっ、出てきた出てきた〜、で、何も考えずに一番上のURLをポチッとな。いや〜、ネットって便利だね〜。だね〜。
したがって検索エンジンで頻繁にアクセスされるのは誰かが魔が差してポテチ食べながらテキトーに書いた「あなたは大丈夫ぅ? 知らなきゃゼッタイ損するカエルの前脚の先端に失敗せずにマニキュアを塗るための108の方法ぉ! ヒャッハー!」なのであり、あなたが人類救済の使命に燃えて命を削って書き上げた「味のなくなったガムと使い古した練り消しを絶対に見間違えないための唯一の方法」がアクセスされることは決してないのでした。
つまり、冒頭で述べたような「検索エンジン対策」は、単に「アクセス数」という数字を目的とする場合にのみ「真」ということです。「自分が心から伝えたいことを世の人々に伝えるにはどうすればいいか?」という人類救済を願う善男善女の沸き立つパッションを満足させる答えでは到底ないと言わねばなりません。
しかし現在のネットの性質上、まずは「如何にして検索エンジンに取り入るか」を画策せねば1ミリも身動きがままならないという現実があるのは確かなこと。
実に悲しむべきことではあります。頬を伝い落ちる涙を止めることができません。キーボードがぐっしょり。壊れたらどうしてくれるんだコノヤロ〜。
ではさて、ならばどうすればいいのか?
そのような問いを立てれば、具体的な「技」というものはイロイロと思案可能ではありましょう。
が、小手先の技よりも前に、我々善人ズに必要なことがあります。それは何か? まずは上述の悲しみを悲しみとして共有することです。最近の若いお友達は「シェア」って言うのかな? えへへ。
認めざるを得ない「現実」がある。その上で、いかにして方向を見失わずに前に進んでいくか?
現実から目を逸らすことはできない。しかし現実に流されてはイケない。現実とは出発点に過ぎないのだから。
目的は何だっただろう? 私は何を願って生まれてきた人間だっただろう?
義に飢え乾く悲しみが、意志ある存在である我々の羅針盤となってくれることを願わずにはいられません。
何を言ってるのかよくわからなくなってきましたが、一言で言うと、あなたが幸せであってくれるといいなぁ、というカンジです。なんのこっちゃ。
具体案を示さずに批判的なことばかり言っても仕方がないとは思うものの、現状の仕組みの中で具体的な「案」について話をしようとしても、結局「イカにしてオトクを得るか?」という話にしかならない気がするのですよ。この件に限らず。なんだか「せせこましい」話になりがちというか、つまり、そういう話ばかりを積み重ねた挙句に「今」がある。どことなく卑屈な世相が醸造されていく。悲しいなぁ。
追記:
「ともかく自分のサイト(ブログ)にアクセスを流入させてしまえばコッチのものだぜ」という考え方もあろうかと思います。
しかし「直帰率」って言うんですか? 異様に高いんですよね。特に検索エンジンからのアクセスって。
詳しい数字については「検索(!)」していただくとして、検索エンジン経由だと大抵そのページしか見ないってことですよ。
「興味があって自分から見に来てるのだから興味を持ってサイト(ブログ)内をイロイロ見てくれるハズ」と見せかけて、なかなかそうはならない。
なぜなら、その人が興味を持って自分から求めたのは検索エンジン側の「検索結果リスト」の方なのであって、あなたのページは「表示された結果の一部」でしかないからです。
ユーザーにとって「私の質問に答えてくれている」のは「検索エンジン」なのであって、表示されたページはその限りではない。さて「信頼できる」のはどっちか。
実際、自分が検索エンジン使う場合ってどうです? 用が済んだらすぐに戻っちゃいません?
用が済まなかった場合も、そのサイト(ブログ)内で別のページを探すよりも、自分が検索した結果リストに表示された1つ下のページを見る方が「てっとり早い」ですよね。
検索エンジンがユーザーにとっての「目次」になっているというような使用実態があるものと思われます。
いくら上位に表示されていようとも「あなたのサイト(ブログ)」としては見てもらえない。「検索したら出てくるページの1つ」です。
気のせいか最近特に、検索で上位に出てくるページってどれも似たような見た目のものばかりですね。
ひょっとするとネットに詳しくない人は、検索して出てくるページは「全部G社のページ」だと思ってたりして。案外ありそうですよ。くわばらくわばら。
で、それを承知した上で、じゃあ具体的にどうするか? ということについては「直帰率」の話でビビらせた上で「損をしないための案」というやつがイロイロ言えるのであろうかとは思います。
が、それ以前に、検索エンジンをアテにするということは、とどのつまり根本的にそういうことなのだ、という点については、大いに悲しんでおく必要があるのではないかという気がいたします。涙でキーボードを壊さない程度に。すごい前のめりなタイピング姿勢ですけど。
そして繰り返しになりますが、現状のネットの仕組みでは検索エンジンをアテにせざるを得ないのでした。いくら悲しんでも悲しみ足りませんね。シクシク(←鳴き声の効果音)。
追記の追記:
ふと思ったんですが、
> だって、自分が伝えたいと思う記事が見てもらえないんだったら、意味ないじゃないですか。
広告収入が目的なら、全然そんなことはないってことになるのかな。なるほど。
宇宙に名だたる超善人の私には思いつかない発想だったヨ。
そして今日もネットには「今さら聞けないn個の○○○!」が大量生産されている、と……。
いや別に広告収入を求めること自体が悪いなんて言うつもりはほんのちょっぴりしかないんですけども。
そうかと思えば、調べたいキーワードと同じ名前のお笑い芸人や歌のタイトルがあったりすると、もうそれしか出てこなかったりする。
どうして、こう、「悪いところ取り」なのか。
などと愚痴を言えば、今度は「知らなきゃ損するn個の○○ライフハック!」などという「ニーズ」が生まれてしまう。
そうじゃなくて、世の中の環境の方を少しでも改善していくにはどうすればいいか、という話がしたいんだけどな。そういう「態度・姿勢」そのものが、忘れられている、という感じはいたします。
「いかにして少しでも自分が "お得" を獲得するか」という話しかできない。そんな世相。神は死んだらしいですが悪魔はご存命のようですよ。
選挙の投票は「どうせ死票」にしかならず、貴重な日曜日にわざわざ投票所に行くのは「お損」というわけです。
ただ実際、それを思うと、人に向かって「投票に行け」とは言えないよなぁ、とは思わざるを得ないところ。
やっぱり悲しいなぁ。
もうキーボード壊れてもいいや。
ああ。
今はただ祈るばかり。
どうかあなたが幸せでありますように。
最近のツイッターは態度がデカイので、FC2のPIYOにしましたよ
更新通知用にツイッターを使うとアクセス激増だぜ! え? まだ使ってないの? 遅れてる〜、などというシャラくさいことを言う軟弱者が多すぎて情けないことこの上ない昨今の我々人類ではありますが、そこまで言うならどの程度のモノなのか一度ぐらいは試してやってもいいかな、と持ち前の懐の広さを発揮して不本意ながらツイッターへの登録を試みてみました。
が、電話番号の登録で挫折。
こいつ、登録させる気がないですな。コノヤロ〜。
最初はメールアドレスでアカウントを開設することができたっぽいのですが、その後、ログインしようとすると結局、電話番号の入力を求められる。しかし昨今の情報ダダ漏れ化社会でそんなもん入力してられません。
というわけでネットで一時的なSMS用の番号を入手できるサイトを探して試してみました。
当然こうしたニーズはあるらしく、イロイロ見つかります。
↓
が、どれも海外のものばかりなのですね。
私が探した限りでは日本のものは見つかりませんでした。ご存知の方はラッキーですね。
海外なのは構わないのですが、取得できる番号というのも、海外の番号ということになります。なんか国際コードっていうんですか? 番号の冒頭に「+64」 とかつくアレです。
ところが私はもちろん極東の王者ですから、面識のないツイッター殿にもそのぐらいの情報は常識として伝わっているのでしょう。ログイン時に入力を求められる番号というのも我が国の誇りある「+81」にしろ的な感じです。
そのせいなのか、それともこういう一時番号ではダメというようなフィルターがあるのか、真相は不明ですが、何度試してもエラーになってしまう。
そうこうするうちに「You have exceeded the number of allowed attempts to verify your phone. Please try again later.」などと愉快なことを言い出すじゃないですか。「Please」と言っておりますが、「Please」は実はあんまり丁寧な頼み方じゃないんだよということは英語世界チャンプの私には手に取るようにお見通し。この私にモノを頼みたいなら「I was wondering if I could ask you...」ぐらいは言ってくれないとコマリますね。フンガフンガ。
昔はこうじゃなかったハズなんだけどな。
やはり、なんか、こう、「一強」になっちゃうと、「別にアナタに登録してもらわなくったっていいんですよ?」な感じになってしまうのかな。アンタ変わっちまったな。
というわけで類似のサービスを探し、FC2のPIYOにしました。
http://piyo.fc2.com/m0498732647/
要は外部への露出を少しでも増やせればそれでいいわけですよ。そもそもオマジナイ的なもの。
もともとツイッターを使うのは気が進まなかったので、さしあたりこれで様子を見ようと思います。
それにしても、これに限ったことではないですが、ネットのサービスって「一強」になってしまう傾向がありますよね。地域に縛られない分、選択肢は豊富にあるハズなのに、むしろ逆に、地域を飛び越えて「一強化」してしまう。グローバリズムの恐怖。
検索エンジンにしてもそうですが、もうちょっと適度にシェアがバラけていてくれる方が健全だと思うのですけど、この世に神はいないってやつですかね。いるとしたら悪魔だ。「見えざる手」とは悪魔の手。
ならば人間が意識して、よりよい未来を選んでいくしかありません。
で、そのことと、無名な私があえてシェアの低いサービスを選ぶことになんの意味があるのか? などという声も悪魔の声。その手には乗らんぞ! ぜーはーぜーはー。死に票と知りつつそれでも毎回選挙の投票に行く私をナメてもらっては困る。
では検索エンジンの話が出たついでに、DuckDuckGoを紹介してまとめとしたいと思います。もはやGoogleは不要。
一応言っておくと、普通に日本語対応してますよー。
ではまた。
今日もあなたが幸せでありますように。
素敵なホームページを紹介! 「羽丸旅記 神社仏閣と城巡りの記録」
みなさん、神社仏閣は好きですか? え? そうでもない? そんなハズはない! だって今私の得意の霊能力でアナタの潜在意識を操ったんだもの。うふふのふ。
というわけで本日ご紹介させていただくのは、全国各地の神社仏閣等の旅行記ホームページ「羽丸旅記」です。
↑
落ち着いた見やすいデザインのホームページがあなたを出迎えます。
私からのオススメは「都道府県別一覧」および「日本の寺院一覧」のコーナー。
ご自分の住んでいる地域をクリックしてみましょう。
あなたのご近所のお寺や神社は載っているでしょうか?
冒頭で私の催眠術にかからなかったアナタも、普段何気なく通り過ぎていた身近な場所の記述を目にすると、なんだか嬉しくなるんじゃないでしょうか。「へぇ〜、あのお寺ってそんなに有名なところだったのか〜」と新鮮な発見が。ウキウキ。
ちなみに私ほどの霊能者になるとむしろ参拝される側ですので、今まで神社仏閣に特に関心を寄せていたというわけではなかったのですが、今度外出時に近くを通ることがあったらちょっと寄ってみようかなと思いました(もちろんお客さんを横取りしないようにお忍びでいきますのでご安心を!)。
ところでこちらの羽丸旅記さん、「ホームページ」というのがまたシブい!
近年すっかり定着した「ブログ」というのも便利なものではありますが、基本的に日記形式という性質上、ともすれば「せわしげ」な雰囲気になりがちなのは気になるところ。こういう落ち着いた雰囲気のホームページを見せていただける機会というのは昨今貴重です。
というわけで神社仏閣にご興味のある方はもちろん、そうでない方も日常に新たな彩りが得られたりする素敵なサイト「羽丸旅記」の紹介でした。
以下、雑記。
こんなふうに人のページの紹介記事を書くというのは、ちょっと距離感的に「ウザ」がられるかな〜という気もしなくもないので、基本的にはあんまりやらないようにするつもりでいたのですけど、久々に「すどぷら(http://sp.site-a.info/)」にご登録があったので、舞い上がって勢いで勝手に書いてしまいました。ウザかったらごめんなさい。
勢いついでに「はてな」のブックマークもさせてもらっちゃおっかな〜、とも思ったのですが、それは下手をすると「はてな」運営側からスパム判定されかねず、かえってご迷惑になってしまってはいけませんので思いとどまりました。
なんだか世知辛い世の中ですね。神社でお祈りでもしてこようかな。
それからもう一つ、これは別に批判するつもりで言うのではないのですが、
こちらのホームページ、網羅している寺社件数はかなりのものなのですが、文章は少なめなのですね。
あくまで一般論ではありますが、こうした作りであることは現在のインターネットの仕組みとは、あまり相性が良くないケースもあったりするのではないかと思われます。
で、ここでそんじょそこらの「アクセスアップ業者」だったら「キーワードを意識して文章を書くべし!」とかなんとか言うのでしょうけど、この私をそのような凡百の有象無象と一緒にしてもらっては困るというもの。
私が言うのは余計なお世話というものではありますが、こういうホームページだって全然いいじゃないですか。むしろ気持ちがいい。
しかし昨今のネットで目立つのは「あなたの知らないn個の○○○!!」のような、人の心に土足で踏み込むコピーライティングを駆使したシャラくさいページばかり。
そんな小賢しい文章を書いてるヒマがあったら、お寺で座禅でもしてきたまえってカンジですよ。
そういう姑息な「テクニック」に頼らない落ち着いた作りであることが何かマイナスになってしまうようなことがあるのだとしたら、そんなのはオカシナ話。
むしろ現在のインターネットの仕組みの方がおかしいのだとは私は今後とも言い続けていきますよ。
ではまた。
今日もあなたが幸せでありますように〜。